Alumni Interview Project 第1弾 前編: 松田 宥野 (Yuya)
自分の可能性に挑戦する旅
〜函館、神戸、カリフォルニア、そしてボストンへ〜
第1弾 前編:
松田 宥野
(Yuya Matsuda)
Date: 25st December, 2017
Interviewer: Takahiko Sugitani
DVC在学期間: Fall 2016 – Summer 2017
DVC履修単位: 34.5 Credits修了
編入・卒業: Sophomore Transfer
専攻: Mechanical Engineering Major
語学学校・ELS: 経由ナシ
I. 留学を決意するまで
海外大学への進学を夢見て、実際に海を渡り、留学を実現する日本人留学生達は、実に様々なバックグラウンドを持っています。留学を志すキッカケから、その準備期間、さらには留学先の選び方まで一つとして同じものはありません。留学を成功させていった先輩たちのインタビューを通して、彼らがどんな思いを持って日本の大学進学という安定的なコースを外れてまで海外進学を目指すに至ったのか、その動機に迫りたいと思います 。
留学される前までに辿られてきた進路について教えてください
石川県で生まれて小学校卒業まで同地域で暮らしていました。小学生時代は典型的なクソガキで、人を泣かせる/授業中に隣近所と喋る/親の目をくぐって友達とサッカーするより他の選択肢を知りませんでした。それでも辛抱強く親が塾にCramしてくれたおかげで他の子よりもちょっと試験問題に慣れていたため、函館ラ・サール中学というところに滑り止まりました。
どのような点で一般的な小学/中学/高校生とは違う学生生活だったのですか?
中学に入ってからも、親の塾に行きなはれ圧が変わらなかったので長期休みで帰るたびにどこかしらの塾に通っていました。そのうちの一つ(最終的にそこに落ち着きました)では勉強に乗り気にさせるのがうまい先生と巡り合えたので、中学二年にしてようやく勉強に目覚めました。その後、学校をやめて高校受験に専念したいと考えるようになりました。当時の自分は、いわゆる恋することに恋するみたいに、退路を絶ってまで上を目指す俺って流れに乗ってる!と思ったんでしょう。 地元(石川)の公立中学校に転校をし、勉強を重ねてなんとか灘高校という神戸市にある私立の高校に入学しました。
その当時、勉強以外で打ち込んでいたことは何か有りますか?
中学の話に戻りますが、趣味が高じて卓球にハマり、友人を巻き込んで中学卓球部を造りました。また高校の三年間では課外活動と言いますか、自分の興味を持った分野での活動に一番時間を割きました。一番熱を持って取り組んでいたのは、当時は教育に興味を持ったので、近隣の小学校にて出前授業をするというプログラムです。有志の同級生・後輩15人くらいを率いて在任期間の1年で合計4校、地元神戸を学ぶというテーマで実施することができました。他もビジネスコンテストに出たりネット記事を書いたりしましたが、ここは大人の事情で割愛します。
(NPOを取材した記事の一部)
どんなキッカケで留学を意識し始めたのですか?
親はずっと石川の実家にいるのと、灘は函館ラサールのように学校所有の下宿/寮がないのとで、近場の個人経営の下宿に入ることになりました。そこでたまたま卒業したての先輩が挨拶に来ていて、少し立ち話をしたところその年の秋からHarvard大学(何の因縁だかボストン大学から30分圏内)という学校に進学するという話を聞きました。高校時代に何を考え何をしたらいいのかという話も併せて伺ったところ、普通に日本の大学に入るよりも刺激的で楽しそうだと感じました。しかしこの時点では遠足の友達の弁当が「良さそうだな〜」くらいのレベルでしか感じていなかったので、進学を意識的に考え出したのはもっと後になります。
何故、西海岸(東海岸でなく)の、しかもDiablo Valley Collegeを留学先として選んだのですか?
先にお話した課外活動が面白く感じ過ぎてしまった分、勉強を大変おろそかにしてしまいました。海外の大学を受ける上で英語ができないというのは致命的な欠陥です。またいざとなってみるとどこの大学が一番合うのか等リサーチも全然しておらず、典型的な覚悟が決まってない受験生でした。なので国内の受験結果は当然のごとく全落ち。人生で初めて所属がない時期を味わいました。浪人する自信もなく(その他の理由も絡んで)、コミュニティカレッジから編入することで失敗を取り戻そうという結論に至りました(DVCを選んだのはエンジニア専攻でバークレーに行きたかったからです)。
II. DVCでの1年間
各々の志を持ってこのDVC に集ってきてからどのような生活を送るかで、その後の旅の目的地は変わってきます。XXさんはここでどのような世界と出逢い、どのような経験をし、どんな思いを持って学生生活を送っていたのでしょうか。DVCでの魅力とともに、その後の4年制大学への編入に向けたプロセスも交えてお話しを伺います。
どのようなキッカケで課外活動を選び、そして参加していたのかを教えてください。
お話してきた流れを受けて僕は実のところ、コミュニティカレッジから早く抜け出したくてたまりませんでした。プライドというプラグスーツを着た碇シンジが「いてちゃ駄目だ!いてちゃ駄目だ!」と常に囁いている感じです。初めの頃はとても精神的に突っ張っていたというか、全部A取れて当たり前、クラスの中で最も時間をかけずして最高得点でAという、いかにも日本の典型的な点数トルーマンを引きずっていました。そんな首を真綿で締めてから一ヶ月後(だいたい9月頭)に彗星の如く現れたのが、最初に紹介文を書いているTakaさんとNICの愉快な仲間たちです。彼らはどこの馬の骨ともわからない自分を温かく迎え入れてくれました。密かにとても感謝しています。そんなに頻繁に日本人を見かけると思っていなかったので、珍しく感じてそれからずっと彼らとはかなり密に関わるようになりました。ある日そのうちの一人が「DVC日本人初のクラブって面白くない?」と言いました。自分も高校時代に同じ想いがあったし、また友人のチャレンジに加勢するのが純粋に楽しそうだったので、二つ返事で協力を約束しました。
課外活動で何か印象に残っているエピソードがあれば教えてもらえますか?
結果、一度のDeclineは食らったものの、二度目のトライで無事にクラブを立ち上げることができました。クラブではイベントを開いたりイベントの告知をしたりしましたが、個人的には立ち上げ前に皆でひたいを合わせてどうプレゼンした方が良いかとかクラブ立ち上げの理念をもっとこうしたいとか話し合っていた時間が一番楽しかったです。皆が真剣に、次はきっと良くなると信じて自分の能力と時間を割きリソースの提供を惜しまなかった。質の高いコミュニティに属すというのは、その経験自体で財産だったりします。
次回、さらにボストン大学への編入について伺っていきます!
リンクはこちらから!!